桃の話

桃の意味

桃の葉いきなりタイトルの意味がわからないかもしれませんが、桃という言葉の持つ意味とはいったいなんなのか。

桃って何?のページでも簡単に書きましたが、そこから考えていきます。
個人的な考察も入っているので、正解というわけではないですが、桃を知る上での資料として見ていただければ面白いかもしれませんね。

桃と人間

桃の袋がけ桃が今ある意味。意味というとすごく大げさですが、今まで桃は人間に栽培されてある意味繁栄した植物の1つといえるでしょう。これは美味しい実を付けることで、子孫を残すことが出来るという生物の生存本能に沿った見方をすれば非常に面白いですね。

他の物にも言えますが。つまり、美味しい実をつけることで、沢山栽培してもらい生き残るという道です。
わざわざ状態を管理して、実をたくさん付けられるように剪定、摘蕾、摘花、摘果、袋がけなどまで全てやってくれます。
ただ誤算は、人間が種をゴミにして燃やしてしまうことが多いということです。
地面になかなか捨てませんしね。
もちろん種ごと食べる人がいたとしても結局トイレから下水に。

これはなんだか分かりにくいし間違っているかもしれませんが、もし桃に意志があるなら、自然淘汰のある野生ではなく、人に栽培させる(まるで人が下僕のようだ)事により、種が残される。そして新しい種が出来ていく。人間は自分たちのためと思っているのですが、実は桃に操られているだけかもしれないですね。

桃からイメージされる物。

桃といえば良く女性の部位を表すとき「桃のような」と言われたりします。
ピンク色と薄い黄色が肌の綺麗なイメージなんでしょうか。
ですが、日本で桃にまつわる話としてあるのが岡山県の桃太郎です。

それでは、桃太郎の「桃」はどういう意味なのでしょうか。
これも桃太郎について書かれた文献は数多いですが、やはり、大陸から来た、
桃=神聖、聖なる、仙人、不老長寿、無敵、パーフェクトというイメージが大きいでしょう。

良く、最近の童話の解説本に、桃太郎が出てきた桃は実は○○だというような話がたくさんありますが、
この桃太郎の話は日本全国で様々なパターンがあります。
勇者○○が選ばれた超人として産まれ、悪を打ち、民衆を助ける。
この様なストーリーは非常に平凡でどこにでもある話です。
それでは、主要な部分が似ているのはなぜなのだという話になりますね。

それは、かいつまんでみると、こういう事だと思います。

昔昔、ある宿屋での話。
西から来た旅人A、東から来た旅人B、宿屋の主人Cという3人がいた。
旅の疲れもあり食事の後まったりとくつろぐ2人、そこへCが白湯を持ってくる。
さぞお疲れでしょうし、今日は早めに横になりなさいなと進めつつ、寝所の支度。
そういえばおふたりさんはどちらからきなさった。
わたしは西の国、おれは東の国からさと世間話に花が咲く。
その中でそれぞれ道中に聞き知った面白い話を披露することに。
知らない土地の話だからつい耳を傾けて聞いてしまうのだが、ひとつ話がおわると、自分も披露せねばとはりきる。そうこうするうちに、ふと自分が聞いた話に似た内容が。
ほうほうそれは知っていると細部を聞くと微妙に違う、そういうわけでそれぞれ話を披露。
そして、宴?もたけなわになり、お開きに。

お互い次の宿場で披露する話はさらに脚色されて楽しい話となるだろう。
もちろん宿屋の主人も次来たお客様に披露する話が増える。

さて、どういう事かというと、文書による伝達は公的なものや商売上のものなどがほとんどで、
平安文学などもありますが、そういう話は今知る分しかないのです。
民話などの多くは口伝などで伝わることがおおかったでしょう。

それらはある時は脚色され、あるときは削除され、近くに伝わる話と同化し、分化し様々な物語に変容します。

この様に、桃太郎は様々な英雄伝説の話の総称的な意味合いもこもっていたのではないでしょうか。


戦前、日露戦争以後は、教育の現場でも桃太郎の話は使われていましたし、戦中の映画でも桃太郎は鬼(米軍?)をやっつける話になっていました。(ノラクロでは中国軍が豚だったようなきがします)

そして今は、鬼は降参して最後は仲良くなるんですね。

どっちもどっちのような気がしますが。
物語は時代によって変わっていく物ですので、ありといえばありなんでしょうね。

そういうわけで桃太郎の話だけでこのページは終わってしまいました。

古くからの桃についてはwikiなどで様々紹介されているので、現在の桃の意味について歴史的に見た桃ページで考えてみましょう。

桃の話 桃ちゃん